車輪の国、向日葵の少女 感想

先日『命のスペア』の感想を今さらながら書いていたら、季節の関係もあり夏の雰囲気が感じられる極太ストーリーなタイトルをプレイしたいなと思い至り、押入れを漁っていたら出てきましたのが本作です。
同じあかべぇという事もあり連想しやすかったのかもしれません。

名作は何度でも楽しめるというのは間違いない話ですし、過去プレイしたのはもう10年以上も前の事で、使い古したおかずでも冷却期間を設ける事で再び新鮮さをもっておかず足りうる状態に復帰するという「エロ本リサイクル理論」よろしく、本作もきっとまた楽しめると踏んだ次第です。
おかずに使える作品ではありませんが。
それ以上に、本作が10年以上前という事実に戦慄なのですが。

10年ぶりにプレイするとやはり感じ方も違うもので、特に粗の方に目がいくあたり私も嫌な歳の取り方をしたなと感じます。
例えば、本作最大のギミックである「義務」ですが、義務というべきか権利の剥奪というべきか悩ましく思います。
義務には「○○をしなければならない」という作為義務と、「○○をしてはならない」という不作為義務がありますので、本作中の使い方で基本的に間違いはないのですが、お姉ちゃんの「存在を認められない義務」が腑に落ちません。
これは本人の裁量を離れて周囲の人間に課される義務なので。
これについてはやっぱり権利の剥奪かなあ。
ついでに言うと、この極刑に違反した先にあるのは強制収容所との事なので、じゃあ一番重い罰って強制労働なんじゃね?というのはここだけの話。

さちについても、自分の描きたい絵だけ描いてそれが評価されるってすごいですね。
現代美術は作家がその作品の意義・価値を消費者に訴求しなければ価値が生まれない世界なので違和感があります。
素晴らしい物が自ずと売れるのではなく、それがいかに素晴らしいのか説明しなければならないのです。
まあ、社会が違うので美術界の慣習も異なるってだけの話なのでしょうけれども。

灯花はいいや。
昔、彼女が母にシチューをぶちまけられる例のシーンを、友人が「なんか笑顔で顔射されてるみたい」とほざいたせいで、すげえ盛り上がるシーンなのにギャグにしか見えなくなる病気を患ってしまったのです。

なっちゃんは辛いなあ。
灯花がただの家庭問題なら、そもそも彼女はただの冤罪ですもの。
確かに義務に基づいた教育刑は更正可能性という面で懲役刑より優れているかもしれませんが、この世界はそもそも警察機構が腐っておりますので。
受刑者の管理コストもダンチですし。

そう考えると、妥当性を以って義務を課されているのはさちと、まあお姉ちゃんもそうですか。
あまりに悪い事させると、今度はヒロインの魅力が一層残念な事になるので、無茶できなかったのかもしれません。

ストーリーについては、正直ネット上のあちらこちらで語りつくされている通り骨太の出来です。
不条理な現実に抗う姿の眩しさが、やさぐれてしまった今の私には刺激的過ぎて苦しいくらい。
この辺も、ヒロインが自分勝手な理由で犯罪に走るようなクズだとまるで説得力が生まれなかったと思います。
設定上、罪を背負わせなければならないものの、根っからの悪だとまずいという、非常に危ういバランスの上で折り合いをつけようとした結果でしょう。
ヒロイン単体の魅力はまぁイマイチあれですけれど、本作ヒロインしかセールスポイントがない萌え系ではありませんので。

構成上仕方ありませんが、最後に出てくるお姉ちゃんのインパクトがまた強烈なせいもあったかもしれません。
「お姉ちゃんアリ語ベラベラだったら嫌でしょ!?」は本作中で3大印象深いセンテンスのうちのひとつです。
ちなみに残りは「チョー気持ちいい!」と「ドンマイ、私」なので、表彰台はお姉ちゃんが独占ですね。
次点で「MKストレングスカンパニー=森田賢一強い会社」です。
クスリとくるナイスネーミングです。

そしてそんなお姉ちゃんすら食ってしまう勢いの忘れてはならない御仁が法月のとっちゃんでございます。
恐らく今回10年ぶりに本作をプレイして、一番印象が変わったのがこの人だと思います。
昔はただの怖いとっつぁんでしたが、今改めて言ってる事が分かるようになった気がしています。
きっと本作の半分はとっつぁんで出来ている。

昔ねこねこソフトの片岡とも氏が『120円の春』で、アダルトゲームのアダルトとは性的表現のみを指すものではない、みたいな事をおっしゃっておりましたが、本作もそのポテンシャルは十分に備えているように思います。
化け物タイトル揃いの2005年においても、一際印象的な一本でした。

2017.09.03