アルテミスブルー 感想

本作においては三つの冒険がなされています。
まず一つ目が世界観の設定。
時代は近未来、しかも謎の自然現象により航空機が空を飛べない。
本格SFというわけでもありませんが、学園物や、困ったらとりあえず魔法に頼ることに慣れてしまったユーザーにこれがどれだけ受け入れられるのか。
二つ目が登場人物の平均年齢。
ハルが最年少(六歳児は別枠)で、30代がザラっていうのは、低価格帯の熟女物を除けば珍しいかと思います。
少なくとも「萌え」を追求したキャラクターメイキングのセオリー通りではありません。
そして三つ目が女性視点。
物語は終始ハルで進みます。
ユーザーの大半が男性であることを考えると、それだけで拒絶反応を起こす方おられるでしょう。

しかし結果的に、これらの冒険は一定の成果を上げたと私は感じました。
というのも、あくまでこれは作品である前に商品だからです。
商品とは買われてナンボなわけですから、他社製品とは差異化を図らなければなりません。
市場では基本的に、一番初めにそれを売り出した人が有利となります。
例えば、ゲーム機をセガサターンだろうとプレイステーションだろうと全て「ファミコン」という人が未だに一定数いますし、アメリカではコーラと言えば「コーク」、つまりコカ・コーラです。
最初にその市場を切り開いた商品・ブランドというのはそれだけの力を持っているのです。
ではR-18ゲームで考えてみましょう。
今までに「学園物」と呼ばれる作品がいくつ作られたでしょうか。
それらがあの手この手でどれだけのアレンジを加え、どれだけの物語を展開してきたことか。
今から新しい学園物の作品を作るならば、それらと勝負して勝てるものでなければ、市場でニッチを獲得することはできません。
そういう他との差別化、新規市場への進出という意味で、これらの三つの挑戦は非常に有意義なものだったと私は考えます。

ストーリーは一本道です。
この手のゲームのゲーム性とは出現する選択肢を選ぶことにあったわけですが、昨今その選択肢の意味はどのヒロインを攻略するかの選択程度のものでしかありません。
また攻略と言ってもひたすら文字を送っていけば勝手に攻略してくれるというお手軽設計です。
ならばマルチエンディングのために分散してしまう労力を一点に集中させてやろうというのは、的外れというわけでもないでしょう。
これは、中途半端な話を五つ選べるのと、最高に面白いたった一つの話、どちらがいいかという質問です。
まあ、最高に面白い五つの話があるにこしたことはありませんが。
強いて言うならば、買うか買わないかがユーザーに与えられた唯一の選択肢だったのかもしれません。

本作には二人の主人公がいます。
一人はもちろんハル、もう一人は桂馬です。
ハルの大人の女性への成長物語と、桂馬がかつての輝きを取り戻す物語が表裏一体となっているのですが、どちらがメインかと言えば桂馬です。
真の格好良い男とは、男の中の男とは、それを強烈に体現しているのがこの桂馬というキャラクターであり、それと比べてしまうとハルの成長物語というのは霞んでしまいます。
確かに物語は終始ハルの視点で進みますが、それですら桂馬を描く切り口のひとつでしかないのではないかと疑いたくなるほどです。
ではハルがおまけであったかと言うと、決してそうではありません。
桂馬が輝きを取り戻すためにはハルとハルの成長が必要であり、またハルが成長するためには桂馬との出会いが必要だったのです。
作中で何度も「ハルとアリーが江戸湾ズに新しい風を吹き込んだ」という旨の発言がなされています。
長く停滞していた江戸湾ズで、桂馬もまた燻っていました。
そこにハルという風が新しい空気を運んだことで、燻っていた桂馬という炎が再び燃え盛りはじめたのです。
この桂馬の炎とは挑戦の炎であり、アルテミスのもとへ至るための情熱です。
それを呼び起こしたハルが、結局最後まで処女のままであったことを考えると、このハルというのは、アルテミスが桂馬をけしかけるために遣わせた、自らの分身であったのではないか。
シナリオの井上氏は桂馬が再びアルテミスに挑戦したことについて「その時が来たから、大人の男とはそういうものだ」と発言していました。
確かにそうかもしれません。
しかし、「その時」を運んできたのは間違いなくハルです。

結局のところこれは桂馬という、とにかく格好良い男の中の男を描いた作品でした。
そこでは主人公のハルすら引き立て役にすぎなかったかもしれません。
しかし桂馬とハルの物語は表裏一体であり、どちらがいなくても成り立たないものです。
この特性上、マルチエンディングは考えられません。
中途半端に分岐を作って、とって付けたようなバッドエンドを用意することすら蛇足でしょう。
そうした結果としての一本道なわけです。
キネティックノベルという表現方法がありますが、あちらはどちらかというと小説からの進化です。
一方でこちらは、ADVゲームの選択肢が退化した形態といえます。
進化の過程において、進化と退化は同義語です。
映画、漫画、アニメ、小説、物語を表現する媒体は数多くありますが、それらの進化の過程における位置づけとしても面白いのが本作ではないでしょうか。